仕事がんばるマンだった私が診断書を貰うに至ったきっかけ
こんにちは、けばうです。
今回は、診断書を貰うまでのあれやこれやを書きたいと思います。
(n=1の経験に過ぎないので、あくまで参考程度でお願いします)
前提として、私は、前回の記事に少し記したとおり、超絶ポジティブな実直系働きマンでしたので、自ら休むことを決断できませんでした。
そんな私が診断書を手にしたきっかけは、ある日、めずらしく定時上がりしようとデスクを片付けていたところ、当時の直属の上司(以後、パワハラご本尊と呼びます)に個室に呼び出され、ドアをしめられたと思ったら、そこから3時間の大説教を喰らったことでした。
この日に至るまでにも、私自身「???」と感じるような指導を受けたことが多々あったのですが、
バカ真面目に、「これも期待を込めて強めに指導してくれているんだな。次はがんばろっと」なんて辛い気持ちを押し殺して、パワハラご本尊の指導をポジティブに受け取ってどうにかやり過ごしていました。
というよりも、出向中の身でしたので、出向先>出向元なんだろうと勝手に解釈し、「私は文句が言えない立場なんだ!」と意識して行動していました。
話は戻り、パワハラごご本尊は、どうやら説教する理由なんかはどうでもよかったらしく、その日はとにかく私を叱責したいという気持ちが全面に溢れており、内容も私に限ったことではないものばかり。
「いつもとは明らかに違う。これは指導ではなく、明確に憎悪の気持ちを持って、優位な立場から悪意ある叱責をしている」と確信しました。
また、叱責されている間に、これまでのあれやこれやを思い返すと、どうも全部おかしい…ということに気が付き始めたのです。
しかし、気が付いた時にはすでに時遅し。
今置かれている状況といえば、個室でドアが閉められていて、周囲の目は届かず、助けも呼べないうえ、パワハラご本尊とマンツーマンで圧倒的地位の差があります。
この無力な状況に抗う術もなく、ただ流れる涙をスーツの袖でぬぐいながら、3時間を過ごしました。
後日、幹部からの事情聴取を受けたご本尊は、あいつが憎かったからやりましたと自白したようで、幹部が謝罪に来ました。
謝るのはお前じゃねえ!!!謝罪なんかより私の失ったキャリアを返せ!!!とは今でも思います。
自席に戻り、何か自分の器がいっぱいになって崩壊した音が聞こえたころには、無意識に出向元の先輩に内線をかけて「もう無理です…たすけてください…(爆泣)」と助けを求めました。
電話してすぐに、先輩が話を聞いてくれて、これまでの違和感、今日の出来事、幹部たちの対応、私が出向している立場だから遠慮して黙っていたことを伝えました。
すると、私の話を聞いた先輩は「お前はよく頑張った。もうそれ以上は頑張らなくていい。こんなに壊れるまで頑張る必要はない。明日は休んで、すぐに病院で診断書をもらってこい」とだけ声をかけてくれました。
基本2年とされている出向期間を早めて帰ってくるなんてありえないし、もし帰ることになったら私の公務員人生はもう終わりだと思っていたのですが、その言葉を聞いて、ピンと張っていた色々な糸がすべて切れたような感覚になりました。もういいんだと。
そうして、翌日早朝から心療内科に行こうと準備していたのですが、ご存じのとおり、心療内科は基本完全予約制。特に初診となると、飛び込みで診察を受けられないのです。
職場からは出勤しなさいと連絡が入り、病院にも行けないので、結局号泣しながら満員電車に乗り、涙を終始垂らしながらデスクで仕事をこなし、1日を終えました。
今考えると、明らかにメンタルがぶっ壊れていますね…
(心の糸が切れた後は、通勤も仕事もあり得ないくらいツラくて、苦しかったです。これまで、どうやって乗り切ってきたんだろうかと思うほどでした)
そうして、3時間の個室説教から2日後、ようやく病院にたどり着きました。
病院では、自分の職業、業務内容、置かれている状況、こうなるに至ったきっかけなどを先生に聞かれたとおりに伝えました。
実は、それまで心療内科に通院した経験がなかったので、心の病ってどうやって診断するんだろうとか、先生に何を聞かれるんだろうとビビッていた節があったのですが、行ってみるとなんともあっさり終わりました。
お会計を終え、いざ診断書を受け取ると、「適応障害」とはっきり書かれていて、ショックを受けたのを覚えています。
とまあ、ここまでが診断書を貰うまでのお話でした。
このあと、もちろん診断書を上司に提出しなければならないのですが、なぜかひと悶着ありました。
(おそらく普通はありません)
けばう